常高寺の紹介

             本堂

            常高寺山門

              書院

 常高寺は、江戸時代初期の小浜藩主京極高次の妻、常高院(お初の方、信長の妹お市の方の次女)の発願によって建立された寺であります。寛永七年(1630年)に建設に着手し、小浜出身の槐堂周虎(かいどうしゅうこ)禅師を迎えて開山しました。


 常高院は寛永十年、江戸に没し、その遺骨は後瀬山麓にある常高寺の境内地の葬られ、四メートルに及ぶ宝筐印塔が建てられ現存しております。常高院は寄進した近江の国長田村の三百石の寺領に対しては、将軍家光を始め、代々の将軍より、御朱印状が下賜されました。又、京極家やその後を継いで小浜藩主となった酒井家よりも保護を受け、江戸時代から明治にかけては大変隆盛を誇り明治期には多くの禅界の逸材を輩出しました。


 明治以降、寺領没収され、又、京極家より庇護もなくなり、寺は次第に衰運に向かい、大正十二年には本堂焼失などの災難が続き、戦後の農地改革では寺の田畑も失って、ついに無住の寺となり荒れるに任せておりました。が、近年になり、次第に再建の機運が高まり、平成二年より再建に着手し、山門、書院等の修復を経て、平成十三年秋、本堂を再建、落慶法要を行いました。