戦国武将明智光秀公の生涯

皆様は、明智光秀公についてどのような人物であったと思われますか。大部分の方が、主君織田信長を討った逆臣のイメージが強く、悪い人であると思われている方が多いと思いますが、明智光秀が五年間わたり苦労して始めた亀岡市(桑田群)福知山市(天田群)においては、良作をもたらす領主として領民より絶大なる支持を受けていました。明智光秀は安土桃山時代の武将で、美濃の土岐氏の支流の生まれと言われています。謎多き人物として知られています明智光秀について、誕生から終焉まで明智光秀生涯の出来事について、ご説明します。

2019年9月27日(金)常高寺本堂にて

講演者:丹波福知山明智光秀公研究会 西雄直樹氏

【感想】

明智光秀は謎の多い人物であることが、今日のお話で分かりました。

 特に、日本の歴史上最大の下克上として、本能寺で織田信長を討った明智光秀は、知性に長けた「武将」であり、領民から慕われる「統治者」であり、当時の武将は多くの側室を持ち、子供たちを政略結婚に使うのが普通でしたが、生涯ただ1人の女性を愛した「愛妻家」であるなど、様々な顔を持っていたそうです。どうして明智光秀が本能寺の変で、織田信長を倒したのか、その真実はいまでかって分かっていないようです。

          以上

 

俳人 尾崎放哉と小浜・常高寺

講師に小山貴子氏を迎えて、「俳人 尾崎放哉と小浜・常高寺」と題して講演が行われた。

特に有名な「咳をしても一人」といった、「自由律俳句」が皆さんもどことなく聞き覚えがあると思います。俳句の知らない私ですが、えーこれが俳句とびっくり。俳句は「5・7・5」だけと思っていた。この俳句からもわかるように、波乱万丈な生き様をしながら苦しみの中でも、多くのすばらしい俳句を作って世の中に出しました。その中でも、わざか2か月という短い期間でしたが、常高寺へ寺男として住みこんでいた中でも、多くの俳句を作りました。

「背を汽車通る草ひく顔あげず」や「豆を水にふくらませて置く春ひと夜」等

バサラ大名・京極道誉生き様

講師 : 米原市教育委員会 高橋順之様

最初に法要が行われました。


お初仙石浪漫フェアー実行委員会の方々も参加して頂きました。

お初戦国浪漫フェアー実行委員会の方々も参加して頂きました。
今年度のお初に抜擢された小学二年生

講演会

1.京極氏の流れ

2.京極道誉(高氏)の生涯(『太平記』)を中心に)

3.京極道誉関連の史跡